関羽の不覚(21)- 横山光輝・漫画 三国志から学ぶ人生訓

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名著・漫画・横山光輝の三国志を読んで、個人的に得た人生訓を書いています。

関羽の不覚(簡略)

孫権に荊州を攻める約束をした呂蒙は、関羽の警備が厳しいことを知り、仮病を使い戦を躊躇っていました。

しかし、呂蒙は妙案を思いつき、計略を用い、身分の低い陸遜を呂蒙の代わりに陸口を守らせ、関羽の油断を誘います。

すっかり安心した関羽は曹操の樊城を攻めます。

その隙に乗じて、呂蒙は荊州を攻め、あっけなくこれを落とします。

荊州を取られた関羽は荊州奪還に燃えますが、呂蒙に敗れます。

第二十一回 関羽の不覚の巻から学ぶ人生訓

呂蒙に学ぶ

呂蒙は陸遜を自分の代わりに陸口を守らせ、関羽に油断をさせ、荊州を落とします。

呂蒙の(陸遜に対する)人を見る目と、智略は見事でした。

また、呂蒙は荊州を取った後も、荊州の民を大切にしました。

荊州を取られた関羽が荊州を攻めた時も、関羽の兵が荊州の出身の者がほとんどであったため、関羽の兵は士気が上がらず逃亡してしまいました。

このことからも、呂蒙の綿密な計画の凄さと、先を見通す眼が優れた人だったということが如実にわかりますね。

陸遜に学ぶ

陸口を任された陸遜は、当時は身分が低く、無名の人だったけれども、それを逆に利用して関羽を完全に油断させた点など、智略に優れていたことがうかがえますね。

呂蒙が陸遜の能力を買ったのも、うなずけます。

関羽に学ぶ

関羽は呂蒙の計略に完全にはまってしまいました。

荊州には孔明のような絶対的な智者がいなかったことが悔やまれます。

落鳳坡の龐統の死がこの場面でも悔やまれます。

もし荊州に孔明か、龐統がいたら・・・と思わなくもないです。

最終的には、仲間の裏切りなどにより関羽は最期を迎えますが、関羽は最後の最後まで交戦します。

孟達、糜芳、傅士仁が保身に走ったのが残念でした。

王甫や周倉が関羽の後を追って自害するシーンも心を動かされます。

また、関羽の死を聞いた時の劉備の姿も切ない気持ちになります。

曹操に学ぶ

曹操もまた、死期を迎えます。

なかなか好転しない体調のため、名医と名高い華佗に診てもらうことになります。

華佗は曹操の病を十中八九治せると言いますが、曹操は頭を開くことに躊躇い、それを断ります。

また、曹操は華佗が関羽の腕を治したと聞いて、関羽の仇を討つために来たのかと疑い、華佗を牢屋に放り込みます。

せっかくの名医の話も受け入れられなかった曹操は華佗を殺害します。

結局、曹操は夜ごとに幻想を見、苦しんで死んでしまいます。

もし、曹操が華佗の意見に従っていたらと思わなくもないですが、この当時、頭にメスを入れるのは常識的にもありえなかったことだろうと思うので、いかに華佗の手術が当時、斬新で奇異に映ったかがわかります。

曹丕に学ぶ

新魏王になった曹操の長男である曹丕と、曹彰、曹植、曹熊の王位継承問題も見ものです。

個人的にはやはり安定感で言えば、曹丕で間違いなかったかとも思います。

曹彰は王位を奪う気がないことを示し、曹熊は自害、曹植は都を去りました。

劉邦に学ぶ

劉備の養子でありながら、関羽を助けられなかったことを悔やむ劉封は、魏に降った裏切り者の孟達を必死で攻めるも敗走してしまいます。

命からがら蜀に戻った劉封でしたが、劉備は蜀の将校たちに示しがつかないことを恐れ、劉封の首をはねます。

関羽を失い、劉封を失った劉備の悲しみはどれほどのものだったでしょう。

まとめ

関羽の最期、曹操の死など、この巻では三国志の名士たちが最後を迎えました。

もしあそこでああしていれば・・。

あの人がいれば・・・など思いながら読みました。

(前の巻)漢中王劉備(20)

(次の巻)蜀呉の死闘(22)

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にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

20代前半にアジア一人旅(4ヶ月)をしました。その時滞在した国は11カ国。その後、2001年から海外移住(タイ)生活を3年半ほど経験。伸び盛りのアジアの国々を肌で体感しました。ウェブのことは2001年から友人のドイツ人の家に入り浸って習得。趣味はテニスです。

ITを使った在宅ワーク(物販・コンテンツ制作・ITサポート)を始めて10年以上になります。

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