西鉄ライオンズの優勝秘話 福岡の熱男たち 

Share on Facebook
Pocket
LINEで送る

小さいころ、私の父は西武ライオンズファンでした。

今はソフトバンクホークスのファンです。

何で福岡なのに西武ば応援するとね?」と幼いころ聞いたことがあるのですが、「そりゃ昔、福岡に西鉄ライオンズがあったけんたい。」と言われて、

なぜ西鉄ライオンズが父親の世代に人気があったのか?

ああ西鉄ライオンズ』という本を読んでみました。

今では西鉄ライオンズの本拠地がどこだったのか知らない人も多いですし、30代以降の人は平和台球場があったことを知らないみたいですね。

それにしてもこの本、結論からすると、かなり面白い内容でした。

わたくし、結構、数十年前の古い本を読むことが多いのですが、正直なところ、古い本にはかなりおもしろい本が多いと思います。

逆に単に昔のことが目新しく感じるだけかもしれないですが。

西鉄ライオンズは昭和33年に日本シリーズで奇跡の逆転優勝で三連覇を成し遂げました。

今のソフトバンクホークスも個性的なメンバーが揃ってはいますが、西鉄ライオンズは、また今のホークスとは全然違う雰囲気のあったチームだったんだろうな~と、この本を読んで思いました。

昭和31年に巨人を破り、初めて日本一になった西鉄ライオンズは、翌年も巨人を破り二連覇。

また翌年も巨人を破り3連覇。このすべてが、西鉄は三原監督、巨人は水原監督。

ただ、この年は特別で、ペナントレースでは11ゲーム差をひっくり返す逆転優勝で何とか日本一に駒を進め、西鉄は日本シリーズに来るまでに既に力尽きたと思われていたようです。

実際、3戦までは巨人にいいところなく敗れ、三連敗。シリーズの敗戦濃厚に。

しかし・・・。

三原監督のゲーム外での開き直り采配

三連敗した日に、三原監督は球団職員にすき焼き百人分と日本酒五十本を用意させて、選手の家一軒一軒に届けた

更に、監督は大下弘に電話して呼び寄せて、現金十万円を渡して「みんなで飲んでこい」と言ったそうです。

大下は中西や稲尾らと中洲に繰り出し、これで憂さが晴れたようです。

翌日は雨で試合は中止、そこからツキが回ってきたのか、第四戦に勝ち、それからはトントン拍子。一気に四連勝し、西鉄は三連覇を果たします。

神様、仏様、稲尾様』と呼ばれる稲尾和久氏は何と7戦すべてに登板しています。

それにしても、監督のやり方がすごいですね。

やることなすこと、今では考えられない話ですが、実話です。

そもそも、稲尾和久は南海のスカウトが目をつけていた選手で、西鉄は九州出身の選手はすべて取るつもりで、それを阻止。

その稲尾の入団からいきなり三年連続日本一ですからすごい話ですね。稲尾はとにかくコントロールが抜群だったようです。

また天才打者の大下は宵越しの銭は持たないという豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格で、毎晩遊楽に興じたそうですが、朝帰りしても結果は必ず残すみたいなところがすごいところですね。

今だったら間違いなくメディアが叩くような話ですね。

豊田の負けん気の強さや、中西太の豪快な弾丸ライナーのホームラン。

その当時の野球を観てみたかったな~と思いました。

まとめ

この本を読んで一番に思ったのが、いい意味で、西鉄ライオンズというのは九州らしい泥臭い球団だったんだろうな~ということ。

今でこそソフトバンクホークスは男女問わず人気のある球団ですが、西鉄ライオンズに関しては、何か男臭い、何か気質(かたぎ)な九州男児が好きな球団だったんだろうな~と思いました。

強かったのは結果が証明していますが、それ以上に、何か人間臭さが人気だったのかなとも思います。

世に言う「黒い霧事件」は、逆にそれが悪く出て球団の存続ができなくなったのもまた、西鉄ライオンズらしさだったのかもしれないですね。

一昔前の福岡の『熱男』たちの物語でした。

野球に関する記事

Share on Facebook
Pocket
LINEで送る

にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

20代前半にアジア一人旅(4ヶ月)をしました。その時滞在した国は11カ国。その後、2001年から海外移住(タイ)生活を3年半ほど経験。伸び盛りのアジアの国々を肌で体感しました。ウェブのことは2001年から友人のドイツ人の家に入り浸って習得。趣味はテニスです。

ITを使った在宅ワーク(物販・コンテンツ制作・ITサポート)を始めて10年以上になります。

福岡で自営業や起業家・副業向けの『ちょいビズ』意見交換会・勉強会を開催中です。

フォローなどはお気軽にどうぞ。

スポンサーリンク

フォローする