福岡の偉人 貝原益軒について【ふくおか人物誌】

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福岡の偉人、貝原益軒のことを少し学んでみようと思い、

上記写真の『ふくおか人物誌[1]貝原益軒 西日本新聞社』を読みました。

貝原益軒(1630年-1714年)は江戸初期から中期の福岡藩士、儒者で、特に自然科学の分野で幅広い業績を残した人です。

福岡藩に仕えた際、二代目藩主の黒田忠之に叱責をうけて、7年間も浪人生活を送りましたが、その間に多くのことを学び、三代目藩主、黒田光之に許され、その力を存分に発揮したようです。

浪人時代は長崎で医学を学び、その後、父の寛斎の世話をするため、江戸で医者をしていたようです。江戸在住中に林羅山の子、林鵞峰(がほう)と交流し、儒学に力を入れるようになりました。

黒田光之に再出立してからは京都に遊学の命が下り、儒者の松永尺五、山崎闇斎、木下順庵などと交流し、特に木下順庵とは交流していたようです。

また、益軒が京都遊学中に同郷に縁のある向井元升(げんしょう)と宮崎安貞と交流し、それがきっかけで本草学(中国古来の植物を中心とする薬物学)に興味を持ったようです。

やはり、人との交流が多くの影響を与えていくものですね。

『農業全書』を書いた、宮崎安貞とは晩年まで交流が続いたようです。

その後『易学堤要』を皮切りに、沢山の書物を出版。また、黒田藩の『黒田家譜』の編纂にも従事しました。

五十五歳頃からは諸国巡遊し、江戸や近江、敦賀、京都などを周って儒者などと交流したり、『筑前国風土記』の編纂のため、筑前領内の調査なども行ったようです。

本を読む限りでは相当精力的に活動されていたことがわかります。

また、この時期、益軒は南蛮から来たお酒を飲んで毒にあたり、重体になったようで、この経験が『養生訓』を書くきっかけになったようです。

随分内容を端折って書きましたが、興味のある方は、『ふくおか人物誌[1]貝原益軒 西日本新聞社』を読んでみてください。

この本で貝原益軒の業績や考えを断片的にではありますが、知ることができました。

もちろん源泉のものを読んだ方がいいので、今後、機会を見つけて、『筑前国風土記』や『養生訓』なども読んでみようと思います。

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にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

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