福岡の洋画家 伊藤研之という人

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毎度のことですが、今回も福岡に縁のある偉人をピックアップして記事にしています。

以前は、青木繁や坂本繁二郎、森三美について学びました。

今回は伊藤研之(いとう・けんし)という洋画家さんについてです。

伊藤研之(1907年4月6日-1978年9月24日 明治40-昭和53年)

中学修猷館を経て、1933年(昭和8)早稲田大学文学部卒業。
早稲田在学中に第18回二科展に初入選、以後二科会を基盤として活躍。

正直、福岡のことを学ぶまでは、名前も聞いたこともありませんでした・・・。

ある意味、私が物心がつく前に活躍されていた方なので、仕方のないことですね。

手持ちの資料が乏しいので、今回は昭和56年に福岡市美術館で開催された『伊藤研之展』という当時の図録をもとに学んでみました。

この伊藤研之展の図録には美術評論家の河北倫明や画家の朝井閑右衛門、岸田勉(石橋美術館館長)、寺田竹雄(二科会常務理事)、原田種夫などが寄稿しています。

河北倫明と伊藤研之とは福岡での展覧会の審査などの頃から度々接する機会があったようです。

伊藤研之の仕事は、昭和20年代には海辺の少年やヨットなどの叙情味の強いものから(第一期)、昭和30年代には海老原喜之助に触発されるようにして、サーカスやピエロなどの線的表現を利かせたものに変化し(第二期)、最終的には、建物や動物や森などを組み合わせた独自のシュールレアリズム的な風景(第三の後期)に変化していったと述べています。

第二期には海老原喜之助の影響を受けて、周囲を戸惑わせることもあったようです。

伊藤研之は戦時中、上海にも滞在しており、画家の朝井閑右衛門は当時、一緒に上海から蘇州を旅したと書かれています。

また、詩人の原田種夫氏は昭和30年ごろから昭和36年にかけて伊藤研之と一緒に仕事をしており、週一回、朝日新聞に「ふるさとの昔ばなし」を掲載していたそうです。

余談ですが、伊藤研之は、中学修猷館時代、野球がピカ一で上手く、美男子だったので大変モテたようです。

修猷館出身の洋画家は他に和田三造(中退)や吉田博など、日本画家は吉嗣拝山の息子の吉嗣鼓山や水上泰上などがいます。

まとめ

絵画に関しては、門外漢でよくわからないことが多いですが、いろいろと福岡について学んでいくと、誰が誰と関わりがあったかなどを知るきっかけになってなかなか面白いものですね。

福岡の洋画家

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にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

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