福岡に縁のあるお寺の住職や僧

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福岡ゆかりの僧侶などに関することを掲載しています。

まだまだ掲載しきれていませんが、追々アップしていきます。

浄土宗

岩井智海(いわいちかい) 

1860-1942(文久3~昭和17)

糟屋郡山田村生まれ。
福岡成道寺で出家。
知恩院大学林、大阪英和学舎、立教大学、上野音楽学校に学ぶ。
大阪堺大阿弥陀経寺、長崎大音寺住職となる。
日清戦争では慰問布教師として従軍する。

1926年には知恩院執事長と務める。
1932年 大本山清浄華院法主。
1934年 浄土宗管長、知恩院門跡に就任。

養鸕 徹定(うがい てつじょう)

幕末・明治期の浄土宗僧侶の『うがい徹定(養鸕 徹定)』禅師。

文化11年3月15日(1814年5月4日) – 明治24年(1891年)3月15日)

古経収集家。
久留米藩士鵜飼万五郎の次男として 久留米に生まれる。
6歳で久留米西岸寺で出家、江戸に 出て修学ののち、学問僧の道を歩み、講義著作と経典の調査に専念。
岩槻浄国寺 (埼玉県) 浅草誓願寺(東京都)、小石川伝通院(同)の住職を歴任。
1872年(明治5) 浄土宗最初の管長となり、1874年知恩院第75世となる。
明治の初め、ヨーロッパ文明の影響を受け、仏教が 非難されるや、キリスト教を排戸ーする著作を多く出し各宗が連合して仏教を復興すべきことを強調した。
また 知恩院の護持につとめ、興学と育英に力を注いだ。
詩文 をよくし、写経典籍に造詣深く、はやくより中国・日本 “古写経や書画を集める。
収集品は知恩院に寄贈されたが、国宝・重要文化財に指定されているものが多い。

曹洞宗

高階瓏仙(たかなしろうせん)

1876-1968

福岡生まれの僧。曹洞宗管長。

嘉穂郡の永泉寺・高階黙仙について得度(僧侶となるための出家の儀式)。

曹洞宗大学林(駒沢大学)を卒業して、可睡斎日置黙仙に参禅(禅の道に入って修行すること)。

静岡・崇信寺住職、曹洞宗大学教授、福岡市の安国寺住職などを歴任。入寂まで曹洞宗管長を務めました。

北米・南米・中国・韓国などに渡り、海外での布教活動や文化交流に務められました。

天台宗

最澄

767-822(神護景雲元年-弘仁13年)

天台宗の開祖として大変有名な宗祖伝教大師 最澄ですが、福岡にも随分ゆかりのある方です。

803年に遣唐使と共に難波を出発しますが、船が難破し、大宰府に1年と3ヶ月ほど滞在します。

天台寺院である、竈門山寺に寄住して、渡海の無事を祈り薬師像を4体造り、宇佐宮や香春神社に参詣。

804年に無事渡海に成功。
帰国後、806年に天台宗を開き、814年に九州行脚をして、渡海報謝のために宇佐宮や香春神社に、竈門山寺に赴いています。

円仁(えんにん)

794-864(延暦13年~貞観6年)

第三世天台座主。諡号 慈覚大師。
最澄の弟子となる。
838年に遣唐使として博多津から入唐。
『入唐求法巡礼行記』を記しており、遣唐使としての困難が書かれています。
会昌の廃仏の憂き目にも遭い、山東半島から新羅の金珍と共に帰国。
太宰府で帰国を手伝った金珍に報酬を与えた。

寂源 (じやくげん)

1630~1696(寛永7~元禄9)

第50世高良山(福岡県久留米市)座主。

山城国(京都府)上加茂の祠官。

豪潮

1749-1835(寛延2-天保6)

肥後玉名の人。
密号は遍照金剛、諱は寛海。
石造宝篋印塔や仏画、戯画、書跡、詩文を多数残しました。

能書家としてもよく知られ、北島雪山・秋山玉山と共に、『肥後の三筆』とも言われています。

玉名寿福寺に住み、のち、加持祈祷のため、諸国を回る。

日田の広瀬淡窓や博多の亀井南冥、幻庵曇栄や、福岡藩侍医の山崎文亮などと交わる。

また、聖福寺の仙厓さんとも交流がありました。

太宰府にもゆかりの深い方で、太宰府の崇福寺と観世音寺横の、戒壇院で3~4年過ごしています。
また、光明寺には豪潮の描いた十六羅漢図があるそうです。

律宗

鑑真

688~763 (持統天皇2~天平宝字7)
唐の学僧・日本の律宗の開祖。

※律宗とは、戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派です。

唐の楊州江陽県生。
入唐僧だった栄叡、普照の懇請で日本へ向かう。
何度も失敗し、ようやく6度目に日本へ到着。
福岡では、大宰府観世音寺の隣にある戒壇院で授戒を行った。

鑑真和上 供養塔
鑑真和上の供養塔が戒壇院の左手にあります。

浄土真宗

木屋石門(きやせきもん)

1803-1892(享和3-明治25年)
別名を藐姑射石門(はこやせきもん)と言います。

真宗大谷派・光善寺の住職。(八女郡黒木町)

日田の咸宜園で10年間修行。
広瀬淡窓門下の18俊才の一人。

京都の仁和寺で一時、侍講を務める。
光善寺に戻ってからは、私学修文館を開設。

本願寺門主・大谷光尊や大谷勝尊もこの塾で学んでいます。

法相宗

玄昉(げんぼう) 

生年不詳 – 天平18年(746年)

太宰府に縁のある僧。

717年に、多治比県守、藤原宇合、阿倍仲麻呂、吉備真備らと入唐。
735年に帰国し、多くの経典と仏像を請来。

※請来とは、仏像・経典などを請い受けて海外から持って来ること。

聖武天皇の母の病気を治したことで天皇に信任を得るが、
745年に藤原の仲麻呂が勢力を拡大し、行基(ぎょうき)が玄昉を押しのけて大僧正になります。

観世音寺

その年に、玄昉は筑紫観世音寺別当に左遷。
観世音寺の造成に務めましたが、落慶供養の日に殺害されたと言われています。
 

参考文献(福岡県百科事典・読んだ本を参考)

太宰府ゆかりの僧侶

お寺関連

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にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

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