太宰府の史跡・水城跡とその歴史や駐車場の情報など

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先日、太宰府の史跡、『水城跡』に行ってきました。

ちょうど、コスモスの咲くシーズンでしたので、沢山の行楽客で賑わっていました。

水城跡の歴史

そもそも、この『水城跡』というのは、どのようにして造られたのでしょう?

福岡は、今でもアジアの玄関口として栄えていますが、昔からアジアとの交易が盛んでした。

地理的に見ても、韓国や中国とも近く、昔から多くの交易が行われていたようです。

特に、大宰府は当時、西の外交の窓口として重要な役割を担っていました。

時は、663年(天智2年)8月。

朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)というところで、唐(中国)と新羅(しらぎ)連合軍vs百済(くだら)の遺民・倭国(日本)の連合軍とで大規模な戦いが起こりました。

百済と日本(倭国)は、当時友好関係を結んでいたのですが、唐と新羅が百済を攻めたため、倭国は百済を救けるため、出兵します。

しかし、百済と倭国の連合軍は破れてしまいます。

(水城の建設)

白村江の戦い後、倭国(大和朝廷)は唐軍の侵攻を恐れ、国内に防衛網の構築を目指しました。

中国・朝鮮の外交の地であった大宰府への侵攻を恐れた倭国は、白村江の戦いの翌年に、水城を建設。その翌年に大野城を築きました。

結局、唐軍は倭を攻めなかったため、水城は直接活用されることなく、その役目を終えたようです。

水城跡には、遊歩道のような道があり、ぐるりと1周することができます。

歴史の息吹を感じてみられてはいかがでしょうか。

(水城の駐車場)

↑水城3丁目交差点付近の駐車場。

入口がちょっとわかりにくいです。久留米・筑紫野方面からですと、左手にあります。

駐車場と呼んでいいのかわかりませんが、草の生えた車を停めるスペースがあります。

出入口が狭く、一台しか車が通るスペースがないので、出入りの際は注意が必要です。

秋(10月下旬頃)にはコスモスが一面咲いて綺麗です。

整備された(舗装された)駐車場もあります。

水城3丁目の交差点すぐ。

ダイハツそばにあります。

十数台ほど停められるようです。

上の写真の正面にあるプレハブの建物が、水城解説案内所です。

歴史などを詳しく解説してほしい方は、案内所に尋ねられると良いと思います。

水城跡

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にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

20代前半にアジア一人旅(4ヶ月)をしました。その時滞在した国は11カ国。その後、2001年から海外移住(タイ)生活を3年半ほど経験。伸び盛りのアジアの国々を肌で体感しました。ウェブのことは2001年から友人のドイツ人の家に入り浸って習得。趣味はテニスです。

ITを使った在宅ワーク(物販・コンテンツ制作・ITサポート)を始めて10年以上になります。

福岡で自営業や起業家・副業向けの『ちょいビズ』意見交換会・勉強会を開催中です。

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