団塊ジュニア世代のリアルと今後の生き方

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いつもお越しいただき、ありがとうございます。

今回のお題は、『団塊ジュニア世代のリアルと今後の生き方』について。

私自身が、団塊ジュニア世代(ベビーブーム期に生まれた世代・団塊世代の子供)です。

よく、この時代生まれの人間は、悲惨だとか、クズだとか、貧乏くじ世代と呼ばれているようです。

まあ、マイナスなイメージが多いこと・・・。

個人的には、全然そんなイメージもないんですが、はたから見ると、どうもあんまりこの世代のイメージはよろしくないようです。

そこで、団塊ジュニア世代がどのようなことを経験してきたかを、私個人の経験ではありますが、書いてみたいと思います。

参考程度にどうぞ。

長文です。ゆっくりじっくりお読み頂ければと思います。

団塊ジュニアの私が経験したこと

私が生きてきた時代を、時系列的に書いてみたいと思います。

私が男なので、男性目線での記事です。

小学生の頃

ファミコンが登場

ドラクエ

ファミコンの登場は本当に衝撃でした。

マリオブラザーズドンキーコングから始まり、スーパーマリオ、ドラクエ1、スパルタンX、ファミスタなど、ほとんどの小学生がやっていました。

自宅では兄弟とゲームのことで喧嘩もよくしていました。

初期の頃の、コントローラの四角ボタンは押したら戻らないという粗悪なものでした。

80年代のテレビゲーム いつかまたやりたいファミコンやPCゲーム

プロ野球人気

阪神タイガースが優勝して、大フィーバー。

歓喜に湧いた大阪では、道頓堀に飛び込む人が続出しました。

巨人戦に、槇原投手から、バース・掛布・岡田が三連発のホームランを放ち、大変盛り上がりました。

テレビはまだチャンネルを回すやつでした。

たまに映らなくなり、テレビを叩いたら直るというのが定番でした(笑)

お金持ちの家にはビデオ(VHS)が普及し始めていました。

ちなみに我が家にはビデオはなく、ガンダムの最終回を録画ではなく録音していました。。懐かしい。。

少年ジャンプが人気

当時の少年ジャンプは、本当におもしろい漫画ばかりでした。

こち亀はもちろん、キン肉マン、キャプテン翼、ドラゴンボール、聖闘士星矢、北斗の拳などキラ星の如く名作が生まれました。

毎週、ワクワクしながら、少年ジャンプの発刊を待っていました。

もっと幼い頃は、コロコロコミックなども愛読書でした。

特に、キン消し(キン肉マン消しゴム)はかなり流行りました。

80年代に読んでいた懐かしい漫画特集

その他

ウチは田舎だったので、クワガタ取りとか、魚取りなどもやっていたので、自然にも随分触れられました。

低学年の時は、近藤真彦や松田聖子を、その後、中森明菜やチェッカーズなどが流行りました。

風見しんごの涙のテイク・ア・チャンスも随分流行りました。

お昼と言えば、『笑っていいとも』と決まっていました。

ほとんどテレビしか情報手段がなかったから、どうしてもテレビ中心でした。

小学生の頃は、本当に夢のような時代を過ごしたと思えるほど、楽しい時代でした。

中学生の頃

中学時代は、実はあまり良い思い出がないです。

なぜかというと、以下のとおり。

同級生が続々とヤンキーに

ビー・バップ・ハイスクール

中学に上がると、小学校の同級生が次々にヤンキーになってしまいました。

いつの間に!?というくらいにみんな変わり果ててしましました。

県下でも有数のヤンキー校になってしまって、本当に嫌でした~。

私は、何もしていないのに、トイレにいる時に『お前生意気』と言われて、トイレで土下座させられたことがありました。

未だに意味不明でしたよ・・・あの事件は。

ビー・バップ・ハイスクールなどの漫画の影響もあったんじゃないかと思います。

実際に上記の絵のような人がいっぱいいましたよ・・・。

私は何かそういうのを、とても冷ややかに見る中学生でした。

そういうこともあり、段々と一人でいることが多くなりました。

ヤンキーが増えたのは、多分、当時、バブル期に入っていたので、バブルに浮かれて、親が子供を見る時間が減ったのが原因ではないかと個人的に推測しています。

確かに、周囲を見ると、随分羽振りが良かった印象があります。

我が家はそうでもなかったですが。

バブルがその後の団塊ジュニア世代に大きな影響を与えるとは、その頃は誰も思いもしなかったんではないでしょうかね。

学習塾に通う

この当時から、塾に通う中学生はとても多かったです。

私も、嫌々ながら通っていました。

団塊ジュニア世代は人口が多いのも特徴で、受験競争も他の時代より熾烈でした。

確かに、うちは田舎でしたが、子供の人口はとても多く、遊ぶ友達には困りませんでした。

私は勉強は全然できなかったので、偏差値は普通程度の公立高校を受験することにして、何とか受かりました。

サッカー人気がジワリ

キャプテン翼の影響で、サッカーをしたかったのですが、小学校時代はソフトボールをしていたので、友達と離れたくなかったので、サッカー部を諦め、野球部を選んでしまいました。

これはのちまで後悔。やる気のない野球部ではずっと補欠でした。

その他

音楽CDの出始めだったと思います。

久保田利伸や、BOOWY(ボウイ)などを聴いてました。

高校の頃

私の場合は、進学校ではなかったのですが、随分校則が厳しくて、自由な校風ではなかったので、鬱々としていました。

中学同様、そのままヤンキーから滑り込みで入った人も多くて、ちょっと居場所を作るのに苦労しました。

部活

念願のサッカー部に入ったものの、視力低下で1年で退部。

ヘタレでしたね。

音楽

KANの『愛は勝つ』が流行る。

尾崎豊が死去。友人が好きで亡くなった時は随分ショックを受けていたようです。

尾崎もある意味、時代を映した人だったように思いますね。

サザンの映画『稲村ジェーン』が話題になりました。

浜省(浜田省吾)や矢沢永吉などが人気でした。

渡辺美里や米米CLUBも人気でした。

その他

武田鉄矢と浅野温子のドラマ『101回目のプロポーズ』が流行りました(僕は死にましぇん)。

大学受験勉強

何か、世の中的には、大学に入れば将来安泰というような雰囲気があったように思います。

実際に、親も大学入学を勧めていましたし、兄も大学生活を謳歌していたので、大学に入れば楽しいことが待っているのかな?と思っていました。

勉強はそれなりにして、普通の人がちょっと頑張れば入れる大学に、私も何とか努力して受かることができました。

大学入学

何も目的もないまま、周囲の雰囲気で大学に入ってしまいました。

大学に入りさえすれば、将来は明るいと思わされていたアホですね。

のちのち、その幻想に苦しめられます。

入学した時に、Jリーグが始まりました。

ポケベルがはやり始めました。

大学での勉強

大学では勉強を全くせず・・・。

人生最大の汚点ですね。何をしていたのか・・・。情けないです。

もう一度大学に入れるのなら、やり直したいほどです。

ボランティア活動

大学生活がイマイチ楽しくなかったので、ボランティア活動をして過ごしました。

自分に自信がなかったので、何か自分を変えたいと思っていました。

この活動だけは、個人的には良かったことで、ボランティア活動を通して、海外に興味が出て、後の海外暮らしに繋がっていきます。

バブル崩壊・就職氷河期に突入

バブル崩壊

人生において、最大の出来事だったかもしれません。

バブル崩壊は、大学入学と同時に起こりました。

それでも、まだ正直、安穏としていました。

同じ大学に通う3歳上の兄の就活の頃までは、会社は学生の青田買いをしていました。

大手からも引く手あまたの状態。

それこそ、就職の面接のために、本社の東京に行く際は、航空券や宿泊代までも会社が負担するほどだったようです。

しかし、私が就職活動をする頃には、そのような求人は全くないばかりか、求人と言えば、ほとんど名も知れぬ会社ばかり。

『えっ?』という感じでした。

何か、描いていた理想と現実とのギャップが大きく、暗く沈んでいた気がします。

大学を卒業 人生に大いに悩む

自信を失った私は、人生に迷い始めました。

この頃から、現実をよく考えるようになります。

ある意味、人の言うことをあまり当てにしなくなったというか、世の中を斜に構えて見るようになった気がします。

そもそも、こう生きなければいけないというレールを敷いたのは、前の時代の人たちで、でも現実は、全然違う方向に行くということを、バブル崩壊で初めて実感しました。

(時代時代で生きてきたバックグラウンドが違うので、他人の『こうすべき』という考え方は半分は真剣に聴いて、半分は聴き流しても良いと思います。)

それまでは、私は社会経験もないし、先人が言うことが正しいと思っていましたが、バブル崩壊を受けて、世の中が大きく変わり始めていることに、幸いにもバブル世代よりも早く気付くことができました。

こうして、身の処し方を180度転換することに決めました。

海外一人旅に出る

大学を卒業して、就職を放り投げて、アルバイトしたお金で海外一人旅をすることにしました。

インターネットがまだ普及していない時代だったので、情報はもっぱら『地球の歩き方』から得ていました。

貯めたお金が尽きるまで行けるところまで行こうと決めて旅しました。

4ヶ月で、10カ国ほど旅をしました。

それまでは韓国しか行ったことがなかったのですが、この旅で世界を見ることができて、自分の世界観がガラリと変わりました。

と言っても、この変化は自分の中だけの心の変化で、当然日本に戻れば、また同じ現実が横たわっていることは何も変わりません。

ただ、何か人生って本当は色んな道があるということだけはわかっただけでも、良かったと思います。

海外暮らしを経験

海外一人旅をした後に、またひとつの想いが湧き上がってきました。

それは、『海外で暮らしてみたい』ということ。

海外を旅をするのも良いですが、やはり、『住んでみないとわからないこともある』と思うようになり、海外に住むことを決意しました。

今度は契約社員として働きながら、お金を貯めることにしました。

数年して、ある程度お金が貯まったので、温めていた海外暮らしを実行。

結局3年半ほど滞在しました。

海外暮らしは、楽しい経験とつらい思い出と両方ありました。

その時の話はまたおいおいできればと思います。

留学の目的は明確な方がいいのか?滞在3年半の経験者の意見

帰国後 またまた人生に悩む

日本に帰国したら、また人生に迷いが生じました。

正社員としてウェブの会社に入ったものの、いわゆるブラック企業であったために、早い時期に退職。

海外暮らしの時に、語学とウェブの知識を身につけたので、それを活かして完全独立。

現在に至る

三十代からは完全に独立して、何とか今まで生きながらえています。

結婚もしました。

結婚を諦めたら急に上手くいった時の話 年齢やスペックは気にしない

周囲を見ても、早婚か、晩婚のどちらかのように感じます。

景気の悪さがこういうところにも陰を落としているように感じますね。

それにしても、『人生を整える』のに、随分と遠回りしました。

確かに、半端なく辛い時もありました。

ただ、他の人がなかなか経験できないことをやれたのは良かったと思います。

サバイバル能力は随分向上したように思います。

絶対にタダでは転ばないと思っていますからね。

まとめ

何か、私の履歴書のような内容になってしまいましたね・・・。

確かに、このように書いてみると、団塊ジュニア世代の私の半生も、結構大変だったように思います(笑)

大体、私の人生は、履歴書的に綺麗じゃないので、他人に見せられたものじゃないですね・・・。

今後の人生ですが、もう会社に入ってどうこうというのはまずないと思うので、ただひたすらに人の役に立つことをして、それが収益に繋がる仕事をすることしか生きる道はないのかなと感じています。

団塊ジュニア世代は○○だとか、十把一絡げに言うのも良いですが、人生はいろいろで、色んな人生を歩んで良いということを知ってほしいなとも思います。

そのためには、自分のやったことには責任を持つことと、後悔しないことだけは心に刻まないといけませんね。

まだ人生の半分ほどしか生きていないと思うので、これから更に良い人生にしていきたいと考えています。

不遇だ不遇だと言っても、人生にはいつでも逆転できるチャンスはあるので、前向きに生きたいですね。

自分自身は絶対に負けねえ~と思っていますよ。

共にがんばりましょう。

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にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

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