人工知能が記事を書く?人間の役割はどこに?

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先日プロの囲碁の棋士がAIに敗れるというニュースがありました。

そのことに関しては、いつか破るだろうな~とある程度予想はしていましたが、大方の予想以上に早く、AIがプロの棋士に勝ってしまったようです。

それはさておき、何気なく観ていたそのニュースの中で、その他にも、人工知能がスポーツニュースの記事を書いたり決算の記事を書いたりすることが既に可能になりつつあると言っていました。

コンピューターが人が読む文章を考えて、書く』ということです。

すごいことですね。

最近は、コンピューター自身が自分で学習して、賢くなっていくというから凄いですね。

詳細は不明ではありますが、プロのライターさんたちの職は大丈夫なのか、心配しないでもないですし、私のようにブログを書いている人もその必要性がなくなるのか?とか思わなくもないです。

それに、もしかしたら、小説なんかもコンピューターが全部書いて、人間よりも面白い小説を書いたりする日が来るかもしれないですね。

コンピューターによる、大ベストセラー作品なんかが登場したりして・・・。

また、これは日本のことですが、江戸時代など庶民が書いたくずし字のような古文書なんかも、既にコンピューターが解読できるようになってきているそうですね。

私も今、古文書を読むために草書を勉強しているんですが、そんな努力も水泡に帰すかもしれないですね・・・。

それにしても、先日、車の自動運転についても書きましたが、コンピューターの進化が人間社会に与える影響は計り知れないものがありますね。

ただし、このように自動化したからと言って、すぐに人間が完全に仕事を失うということは早計で、どちらかと言うと、機械の方が得意な分野と人間が得意な分野とに住み分けすることで、より良い関係が築けるんじゃないかと、個人的には考えたりします。

しかし、スティーブン・ホーキング博士などは人工知能の発展に危惧を募らせているようですし、やはり人間としては、一抹の不安がないわけでもないですね。

そもそも、難病で話をすることができないホーキング博士自身も、コンピューターのお陰で話ができるようになっているわけで、その恩恵と危険は隣り合わせというところでしょうか。

やはり、良い面、悪い面はどんなことにもあります。

その辺りの議論は今後進められていくのかなと思います。

(2016年5月1日追記)

以下、その後考えたことをまとめます。

適者生存の考えからすると、もしかすると、生身の人間より機械の人口知能(ロボット)の方がどんな環境においても生存しそうな気がしますが(例えば地球に巨大隕石が落ちた場合や、巨大噴火で地球が寒冷化した場合など)、それでも、人や動物には遺伝子を残す本能がありますが、人口知能に果たしてそのような遺伝子を残すというような本能が備わるだろうか?という疑問があります。

人間だと人類に危機が迫れば、危険を察知して危機を回避しようとしたり、種を残すために(年頃になると)適切なタイミングで子供を産み育てたりしますが、人口知能はそれができるだろうか?と考えました。

また、人口知能は、例えばスノーボードをして楽しかったとか、転んで痛かったというようなこと、またそれがどれくらい痛かった等は体験として持てないだろうと思うので、そういう面に関してはやはり人間にしかできないことって結構あるかな~と感じています。

もしかしたら、痛いという感覚は数値化出来たりするようになるのかもしれないですが・・。

好きとか嫌いとかの感情や、血を流したり、涙を流したり、心身の病気になったりするのも人間の特長ですね。

まとめ

人工知能については、これからどのように進化していくかわかりませんが、注視して見ていかないといけないことでもありそうですね。

人間が創り出したロボットが人間を凌駕して、人間自身が不要になる世の中になるというのは滑稽以外のなにものでもないですね。

それが進化といえば、進化なのかもしれませんが。

どんな未来になるかはなかなか想像できませんね。

『人工知能』については、これからも注目しておきたいと思います。

(2016年5月4日追記)

少子高齢化の日本においては、AIはやはり今後重要になると思うので、メリットとデメリットの建設的な議論を進めていけたらいいですね。

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にちこれブログについて

にちこれブログを書いている人

筆者:40代男 一児の父

居住:福岡県

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